修身の教科書より:鈴木今右衛門の慈善

昔、山形県の鶴岡に、鈴木今右衛門という情け深い人がいました。 大きな飢饉のあったとき、自分の家のお金や米、麦などを出して、飢えている人たちを助けました。 それでも、まだ餓死する人がいるので、田や畑はもちろん家の道具まで売って、たくさんの人を救いました。 今右衛門の妻も、持っていた着物などの大部分を売って、人々を助けました。しかし晴れ着がまだ二枚だけ残っていました。 今右衛門が 「外に出るのに、着替えの一つぐらいはあったほうがいいだろう。 それだけは残しておいたらどうか?」 と言いますと、妻は、こういいました。 「着替えがあると、外にも出るようになります。 着替えがなくなって、外に出ることができなくなれば、櫛やかんざしもいりません。 残らず売って、もっとたくさんの人を助けましょう。」 そして、晴れ着と一緒に櫛やかんざしも売ってしまいました。 今右衛門夫婦の間には十二歳になる娘がいました。 ある寒い日、同じ年頃の女の子が物乞いに来ました。 母親はそれを見て、娘にこういいました。 「お前は綿入りの服を二枚重ねて暖かくしているけれども、あの子は綿の入ってない服一枚だけで、ふるえています。一枚あげてはどうですか?」 娘はすぐに、上に着ている、良い方の上着をぬいで、その子に渡してやりました。
鈴木今右衛門とは?
鶴岡藩の藩士。隠居後は農業に従事します。 奥羽大飢饉の時、私財をなげうって慈善を行いました。 鶴岡市の出羽三山神社には崇峻天皇の皇子(蜂子皇子)の墓があり、東北唯一の皇族の墓として、今も宮内庁に管理されています。

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