一分でよめる

修身の教科書:1分で読める上杉鷹山

上杉鷹山(うえすぎ ようざん)は米沢のお殿様でした。地元を栄えさせ、人々の幸せを願った人でした。
鷹山は14歳のときから江戸で細井平洲という学者の下で学問をしました。

後に平洲が江戸から米沢に招かれたことがあります。
このとき平洲はもう70歳近い年寄りでした。
鷹山は平洲が長旅で疲れないよう、いろいろ気をつかいました。

平洲が米沢の近くにくると、鷹山はわざわざ町はずれまで迎えに出ました。そしてある寺の門の前で平洲を待ち受けました。
そのうちに平洲の乗った籠がつきました。
鷹山は「先生、ごきげんよろしうございます。」と丁寧に挨拶をすると、あとは言葉もなく、ただなつかしさに涙ぐむばかりでした。

それから休んでもらうために平洲を寺に案内しましたが、門を入って長い坂をのぼるのに、鷹山は平洲より一足も先に出ず、また平洲がつまづかないよう気をつけて歩きました。

寺につくと、座敷にとおして
「先生、さぞおつかれでございましたでしょう。」
といってなぐさめ、心をこめてもてなしました。

※上杉鷹山(上杉治憲):米沢藩9代目当主

本居宣長を一分で読む!:明治時代の教科書

山桜が咲き誇っている中に、赤い細い葉がまばらに混じっている様は、くらべるものがないぐらい美しい。
葉が青くなってしまって花がまばらになってしまうと、だいぶ劣ってしまう。

山桜といわれるものも様々だ。細かく見れば、木ごとに変わったところがあって、全く同じ木はない。
また、八重、一重などといった種類も様がわりして、とても美しい。

曇った日に見上げて見る花は色鮮やかに見えない。
松などが青く繁ったかなたに咲く花は、色が殊のほか映えてみえる。
空がよく晴れた日、日影のさす方から見る花の美しさにならぶものはない。同じ花と思えないほどだ。

国語読本 巻3 明治34年

尋常小学校の教科書より:星空の笑い話3つ

雨の穴

子どもが空一面の星を見て、
「ああ、わかった。あの光るところが、雨の降る穴だ。」

星の数

ある晩、弟が庭に出て
「一つ、二つ」と数えていました。
兄が
「おまえ、何を数えているのだ?」
と、尋ねますと
「星を数えています。」
「こんな暗い晩に数えないで、昼に数えるがよい。」

星とり

「おい、長い竿を振り回して、何をしているのだ?」
「星を二つ三つ、はたき落とそうとしているのだ。」
「ばかなことを言う。そんなところで届くものか。屋根へ上がってはたけ。」

尋常小学校の教科書より:小野道風(おのの とうふう)

昔、小野道風(おのの とうふう)という人がいました。
若いときに字を習いましたがうまく書けず困っていました。

あるとき、雨の降る日に道風が庭に出て池の傍を通りますと、しだれ柳の枝へ、かえるが飛びつこうとしています。
かえるは柳のつゆを虫とでも思ったのでしょう、飛んでは落ち、飛んでは落ち、何べんも、何べんも、飛びつこうとします。
だんだん高く飛べるようになって、とうとう柳に飛びつきました。

道風はこれを見て、このかえるのように、根気がよければ
何事もできないことはないと悟りました。
それからは、一生懸命になって毎日、字をならいました。
ずんずん手が上がって、のちには名高い書手となりました。

 

尋常小学校 小学国語読本 巻3 昭和3年

小野道風(894年から966年)は、平安時代中期を代表する能書(書の上手な人)です。
小野道風の家系、小野氏は遣隋使で有名な小野妹子を祖先として、岑守・篁・美材等の学者や能書を輩出した名族でした。
幼いころから字が上手だった道風は、書をもって宮廷に仕え、数々の輝かしい業績を残しました。

愛知県春日井市ホームページより

尋常小学校の教科書より:「お花の子守唄」

お花は学校から帰ると、お使いに行ったり、庭を掃き掃除したりして、お母さんの
お手伝いをします。
赤ちゃんが泣き出すと、すぐ傍によって
「ねんねんころりよ、おころりよ。
ぼうやはよいこだ、ねんねしな」
と、かわいらしい声で子守唄を歌います。
それでも、まだ赤ちゃんが泣くときは
「おかあさん、赤ちゃんに、お乳をのませてちょうだい」
こういって、抱っこをして、おかあさんのところにつれていきます。
お花は今年、九つです。

 

尋常小学国語読本 巻3 昭和3年

尋常小学校の教科書より:「箱の中は誰でしょう?」

「この箱の中に、面白い人がいます。当ててごらんなさい。」
「その箱をかしてください。」
「はい。」
「ふっても、ようございますか?」
「はい。」
「たいそう、かるうございますね。この人はどんな色の着物を着ていますか?」
「赤い着物を着ています。」
「それは女の子でしょう?」
「いいえ」
「それでは男の子ですか?」
「いいえ、年よりです。」
「どうも、こまりました。どんな顔をしていますか?」
「顔じゅう、ひげだらけです。」
「それでは手も足もないでしょう?」
「はい。」
「わかりました。だるまさんです。」

 

尋常小学校の教科書より:「五一じいさん」

村はずれに水車があります。村の人は五一車と呼んでいます。
五一じいさんがその水車屋の番をしているからです。

五一じいさんは、おもしろいおじいさんです。
「からすの鳴かない日はあっても、五一じいさんが歌わない日はない」
といわれるほど、いつも機嫌よく歌を歌うじいさんです。

長い半纏を着て、みじかい股引をはいて、小糠だらけになって、はたらくじいさんです。
ざぶざぶ落ちる水の音、とんとんひびく杵の音、そのにぎやかな中から
「しごとなされよ、
きりきりしゃんと。
かけた、たすきの、切れるほど。」
五一じいさんの歌う声が聞こえます。

いつか、うちのお父さんが、道で、
「いつも、お達者なことで。」
とおっしゃったら、五一じいさんは
「もう、すっかり、弱りまして。」
と、いって、大きな手で頭をなでました。
五一じいさんは、今年、六十九歳だそうです。

尋常小学校巻3 昭和3年

尋常小学校の教科書より:「指の名前」

夕飯が済んだあと、おじいさんが一郎に尋ねました。
「おまえは手の指の名前を知っていますか?」
「知っています。一番太いのが親指で、一番細いのが小指です。」
「それから?」
「それから、一番長いのが中指です。中指と親指の間にあるのが人差し指、中指と
小指の間にあるのが、薬指です。」
「そうです。では、足の指の名前を知っていますか?」
「同じことでしょう。」
「まあ、言ってごらん。」
「親指、人指し指。」
おじいさんは笑いながら
「二郎、お前はその指で人を指しますか?
足の指には親指と小指の他は名がないのです。」
と、教えてやりました。

明治時代の教科書より:「紙で作ったかえるが動いた」

子どもたちがたくさん集まっていました。

その中の一人が、紙を折って作ったかえるを出して
「これは生きている!」
と手をはなしました。

するとふしぎなことに、紙のかえるはそろそろと動きはじめました。
みな、ふしぎに思ってみていました。

やがて一人がかえるに息を吹きかけてみると、かえるはひっくりかえって、こがね虫があらわれました。
「ああ、これがタネだ」
と、みんなが手を打ってわらいました。

次の日、またべつの子がいいました。
「おもしろいものを作ったから、みんな見にきて」
みると、うつわにはった水の上を、木でつくった鳥があちこち泳いでいました。
「これはおもしろい。どうやったの?」
ときくと、昨日のかえるを見てから、いろいろ工夫して、木で鳥を作って、それを糸で魚のフナの尾にむすびつけたのだ、と言いました。

小学国語読本より

1分で読む明治時代の教科書:井上でん はどんな人?

九州の久留米に、井上でんという女の人がいました。
子どもの頃から、ぬい物やはたおりなどの手芸が好きでした。

でんが12、3才のときのことです。
いろいろ工夫して、白いはた糸をところどころ糸でかたく結んでから、あい(藍)でそめて、干してみると、その結んだところが白いままになっていることに気づきました。
この糸で、布を織ってみると、白いまだらが現れました。
でんは、とてもよろこびました。

布のもようはとても珍しく、「しも降り」「あられ織」などと呼ばれ、たくさんの人が欲しがりました。
これが「久留米がすり」の始まりです。

でんは元気づいて、さらに工夫をかさね、多くの織物を作りました。
たくさんの弟子もついて、でんの織物は町の特産品になりました。

どんなことでも深く心をこめて考えれば、よい工夫が浮かぶものです。