修身の教科書より:「写生派の祖」円山応挙が犯した鶏の絵の間違いとは?

円山応挙という人が、毎日、京都の祇園の神社に出かては、にわとりの遊んでいる様子を見ていました。 じっとにわとりばかりみているので、周りの人は不思議に思いました。 一年ほどたってから、応挙はにわとりの絵をかいて、神社に納めました。 お参りにきた人たちは、 「よくかけてるなあ」 「まるで生きているようだ」 といって、ほめました。 ある日、やさいを売って歩くおじいさんが通りかかって、しばらく見ていました。 「にわとりはいいが、草があるのはおかしい」 と、おじいさんは、ひとりごとをいいました。 応挙は、そのことを聞いて、おじいさんの家へたずねて行きました おじいさんは 「私は、絵のことは少しもわかりませんが、ただ長いあいだ、にわとりを飼っているので 羽の色つやが季節によってちがうことを知っています。 あのにわとりの羽は冬のようですが、そばに夏の草が書き添えてあるので ふしぎに思ったのです。失礼なことを申しまして、まことにすみませんでした。」 応挙は 「よいことを教えてくださった」 と、ていねいに礼を言って帰りました。 応挙はそののち、またにわとりの絵を描いて、おじいさんに見せました。 おじいさんはすっかり感心しました。 そして、それよりも、自分のような者からも、よく話を聞いて、絵を描こうとする応挙を、本当にりっぱな人だと思いました。  

円山応挙ってどんな人?

円山応挙は江戸時代中期にの画家です。日本の絵画の世界に、新しい考え方と技法を取り入れ「写生派の祖」とよばれます。 国宝「雪松図」 初等科修身(昭和17年)より

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