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1分で読める!明治時代の女子のつとめ

女子のつとめは、多くが家の中の仕事です。 食べ物を用意し、衣服を仕立て、老人をいたわり、子どもを養育し、親戚やご近所との付き合いをし、来客をもてなすといったことです。 たとえ学問や技能、芸術に優れていても、これらのことが欠けていては役にたちません。 そのため、女子は幼い頃からできるだけ家事を手伝い、これらのことに、滞りないようにならなくてはなりません。 加えて、暇があれば、縫箔、編み物、造花などの稽古をするのも、よいでしょう。 糸繰り、機械織りなども女子にはふさわしい作業です。 我が国の重要な産物で、年々、海外に輸出する織物、生糸などは、たいてい女子の手で作られるものです。 ただ自分自身を着飾ることばかり考えて、女子の大切なつとめを、おろそかにしてはいけません。    
縫箔(ぬいはく)とは?
刺繍 (ししゅう) と摺箔 (すりはく) を併用して布地に模様を表すこと
造花とは?
明治期には編み物で作る九重編造花という造花が流行しました。九重編造花は明治、大正期の皇室御用品でもありました。
ユザワヤより 高等小学校国語読本 明治34年

尋常小学校の教科書より:星空の笑い話3つ

雨の穴

子どもが空一面の星を見て、 「ああ、わかった。あの光るところが、雨の降る穴だ。」

星の数

ある晩、弟が庭に出て 「一つ、二つ」と数えていました。 兄が 「おまえ、何を数えているのだ?」 と、尋ねますと 「星を数えています。」 「こんな暗い晩に数えないで、昼に数えるがよい。」

星とり

「おい、長い竿を振り回して、何をしているのだ?」 「星を二つ三つ、はたき落とそうとしているのだ。」 「ばかなことを言う。そんなところで届くものか。屋根へ上がってはたけ。」

尋常小学校の教科書より:「指の名前」

夕飯が済んだあと、おじいさんが一郎に尋ねました。 「おまえは手の指の名前を知っていますか?」 「知っています。一番太いのが親指で、一番細いのが小指です。」 「それから?」 「それから、一番長いのが中指です。中指と親指の間にあるのが人差し指、中指と 小指の間にあるのが、薬指です。」 「そうです。では、足の指の名前を知っていますか?」 「同じことでしょう。」 「まあ、言ってごらん。」 「親指、人指し指。」 おじいさんは笑いながら 「二郎、お前はその指で人を指しますか? 足の指には親指と小指の他は名がないのです。」 と、教えてやりました。

明治時代の教科書より:「紙で作ったかえるが動いた」

子どもたちがたくさん集まっていました。 その中の一人が、紙を折って作ったかえるを出して 「これは生きている!」 と手をはなしました。 するとふしぎなことに、紙のかえるはそろそろと動きはじめました。 みな、ふしぎに思ってみていました。 やがて一人がかえるに息を吹きかけてみると、かえるはひっくりかえって、こがね虫があらわれました。 「ああ、これがタネだ」 と、みんなが手を打ってわらいました。 次の日、またべつの子がいいました。 「おもしろいものを作ったから、みんな見にきて」 みると、うつわにはった水の上を、木でつくった鳥があちこち泳いでいました。 「これはおもしろい。どうやったの?」 ときくと、昨日のかえるを見てから、いろいろ工夫して、木で鳥を作って、それを糸で魚のフナの尾にむすびつけたのだ、と言いました。 小学国語読本より

おふろで大きさをはかる人

むかし、頭のよい人がいました。 ある人が彼に向かって、「私の体を枡で測ったら、どのぐらいの大きさがあるだろう。方法があれば測ってみてください」といいました。 言われた人は「かんたんなことだ」といって、ふろに水を十分にためました。 これに先程の人を入れて、頭までしずませた後、外に出ました。 ふろの水ははじめ、その縁までいっぱいにみちていましたが、人が入ったので上からあふれて、その人の体の分だけへりました。 たのまれた人は、そのへった分をはかりながら、ふろにくみ入れて、元のとおりに水をみたしました。 終わったあと、はかった人は相手に言いました。 「今みたように、あふれたあとにくみ入れた水はニ斗一升五合だったので、つまりそれがあなたの体を枡ではかった大きさです」 相手ははかった人の頭のよさに感心しました。 高等小学国語読本5_明治34年

修身の教科書より:「写生派の祖」円山応挙が犯した鶏の絵の間違いとは?

円山応挙という人が、毎日、京都の祇園の神社に出かては、にわとりの遊んでいる様子を見ていました。 じっとにわとりばかりみているので、周りの人は不思議に思いました。 一年ほどたってから、応挙はにわとりの絵をかいて、神社に納めました。 お参りにきた人たちは、 「よくかけてるなあ」 「まるで生きているようだ」 といって、ほめました。 ある日、やさいを売って歩くおじいさんが通りかかって、しばらく見ていました。 「にわとりはいいが、草があるのはおかしい」 と、おじいさんは、ひとりごとをいいました。 応挙は、そのことを聞いて、おじいさんの家へたずねて行きました おじいさんは 「私は、絵のことは少しもわかりませんが、ただ長いあいだ、にわとりを飼っているので 羽の色つやが季節によってちがうことを知っています。 あのにわとりの羽は冬のようですが、そばに夏の草が書き添えてあるので ふしぎに思ったのです。失礼なことを申しまして、まことにすみませんでした。」 応挙は 「よいことを教えてくださった」 と、ていねいに礼を言って帰りました。 応挙はそののち、またにわとりの絵を描いて、おじいさんに見せました。 おじいさんはすっかり感心しました。 そして、それよりも、自分のような者からも、よく話を聞いて、絵を描こうとする応挙を、本当にりっぱな人だと思いました。  

円山応挙ってどんな人?

円山応挙は江戸時代中期にの画家です。日本の絵画の世界に、新しい考え方と技法を取り入れ「写生派の祖」とよばれます。 国宝「雪松図」 初等科修身(昭和17年)より