ある日、新聞が「かわいそうな親子」という題で以下の記事を出しました。
「松葉町十二番地に小林兵吉という子どもがいます。
兵吉の父親は大工でしたが、兵吉が五歳のときに、ある家の修繕中に大怪我をして死にました。
母親はとてもとまどいましたが、仕方ないので、
毎日、昼は野菜を売り、夜は和裁の仕事を引き受けたりしてして
苦しい中、生活を続けました。
しかし、子どもには人並みの学問をつけさせたいと思い、兵吉が七歳のときに松葉尋常小学校に入れました。
食費すら苦しい中、兵吉の授業料を出すのは、とても大変なことでした。
兵吉は子ども心に母の苦労を思って、学校ではよく先生の教えに従い、家ではよく母の手伝いをしました。
このように三年間を過ごして、兵吉は4年生になりました。
しかし母は苦労がつのった結果、病気にかかってしまいました。
兵吉はとても落ち込みました。学校に行くのをやめて、朝は牛乳を配達し、昼は野菜を売り歩いて、そのお金で母のための薬を買い、夜は母のそばで介抱しました。
母は我が子のかわいそうな様子を見ては泣き
「さぞかし学校に行きたいだろう」と思っては泣きました。
母の病気はいよいよ重くなりました。
兵吉はさらに心配して外へ出ることもやめました、
兵吉はこれからどのようにしてお金を得たらよいのでしょう?
どのようにして薬を買うのでしょう?
かわいそうなのは、この親子の身の上です。」
おふみは、この夜、母からこれを読み聞かせられて、とてもかわいそうに思いました。
そして、日頃からためていたお金を、六十銭ばかり兵吉にあげようと相談しました。
母はおふみの慈善の心にとても感動して、
「私も着物をあげましょう。」
と言いました。
あくる日、二人は兵吉の家をたずねて、おふみは銭を、母は着物をわたしました。
兵吉はとても喜んで、なんども手をついて礼をいいました。
兵吉の母親も、床の中から何度も手を合わせておがみました。
尋常小学校読本 明治37年