実用的な内容

1分で読める!明治時代の女子のつとめ

女子のつとめは、多くが家の中の仕事です。 食べ物を用意し、衣服を仕立て、老人をいたわり、子どもを養育し、親戚やご近所との付き合いをし、来客をもてなすといったことです。 たとえ学問や技能、芸術に優れていても、これらのことが欠けていては役にたちません。 そのため、女子は幼い頃からできるだけ家事を手伝い、これらのことに、滞りないようにならなくてはなりません。 加えて、暇があれば、縫箔、編み物、造花などの稽古をするのも、よいでしょう。 糸繰り、機械織りなども女子にはふさわしい作業です。 我が国の重要な産物で、年々、海外に輸出する織物、生糸などは、たいてい女子の手で作られるものです。 ただ自分自身を着飾ることばかり考えて、女子の大切なつとめを、おろそかにしてはいけません。    
縫箔(ぬいはく)とは?
刺繍 (ししゅう) と摺箔 (すりはく) を併用して布地に模様を表すこと
造花とは?
明治期には編み物で作る九重編造花という造花が流行しました。九重編造花は明治、大正期の皇室御用品でもありました。
ユザワヤより 高等小学校国語読本 明治34年

戦前の教科書より:礼儀の作法とは

私たちが世間の人と共に生活する上では、知っている人にも、知らない人にも、礼儀を守ることが大切です。 礼儀を守らないと、人に不快な思いをさせ、また自分の品位を落すことにもなります。 人の前に出る時には、頭髪や手足を清潔にし、着物の着方にも気をつけて、身なりをととのえなければ失礼です。 人の前であくびをしたり、目くばせをしたり、内緒話をしたりするような不行儀なことをしてはなりません。 人と食事をする時には、音を立てたり、食器を乱雑にしたりしないで、行儀よく、ゆかいな気分で食べるようにしなければなりません。 部屋に出入りするときの、戸やしょうじの開け締めは、静かにするものです。 電車などの乗り物に乗った時には、たがいに気をつけて、人に迷惑をかけないようにすることが必要です。自分だけ席を広くとったり、行儀の悪い格好をしたり、いやしい言葉使いをしたりしてはなりません。 集会所・停車場、その他、人が混み合って順番を守らなければならない場所で、人を押しのけて、我先にと行ってはなりません。 また人の顔かたちや、なりふりを笑い、悪口を言うのはよくないことです。 人にあてた手紙を、許可なく開いて見たり、人が手紙を書いているのをのぞいたりしてはなりません。 そのほか、人の話を立聞きするのも、人の家をのぞき見するのもよくないことです。 親しくなると、何事もぞんざいになりやすいものですが、親しい中でも礼儀を守らねば、仲よく交際することはできません。

戦前の教科書より:「我が家のおきて」

わたしのうちは、8人家族です。 一番、年齢が高いのは、おじいさんです。昨年、六十一歳のお祝いがありました。 一番、年が小さいのは、去年の春生まれた妹です。四、五日前から、やっと二足三足ずつ歩けるようになりました。 一番やせているのはおばあさんで、一番せいの高いのはおとうさん、一番むじゃきでよく人を笑わせるのは、今年五つになる弟です。 おかあさんは毎朝暗いうちから起きて働きます。 その外の者も、みな日の出ないうちに起きます。私の次の弟は、家中で寝坊してましたが、学校へ行くようになってからは、早く起きるようになりました。 夕方には家中、一緒にご飯を食べて、それから、いろいろ面白い話をします。 一日の中で、この時ほど楽しいことはありません。 私のうちは数代前の先祖が、心をこめてつくったものです。 その頃先祖自身が 「つつましさは家の内を治める上策たり。和平は処世の良道なり。」 と書かれたものが、今も残って、私の家のおきてになって います。 先祖が残したものには、家や、田畑や、その外いろ いろの品物がありますが、一番貴いのはこのおきてです。 私のうちでは、代々このおきてを守って、家を治めたり、世間のつきあいをしたりしてきました。 おとうさんも、 「この家風にそむかないように。」 と言って、いつも私どもをいましめます。 日本語読本 布哇教育会第2期 より

明治時代の教科書より:北海道開拓時代のはなし

ある日、北海道のある村の子どもが4,5人、つれだって、その友達の家をたずねた。 そのとき、その友だちのおじいさんは次のような話をして聞かせた。 「私は今から34~5年前に本州から、ここに移住して来ました。 皆さんのお父さん、お母さん、おじいさんや、おばあさんなどと一緒に、ここに移住してきました。 そのころには、今、札幌というところにある、北海道庁という役所は、まだありませんでした。 そして土地は一体に、たいそう荒れていました。木は生い茂っていて、歩くこともできませんでした。また、道もなく、家もなくて、たいそう、さびしい所でした。 けれども、私どもは、小さい家を作って、住まいました。 そして雪の降るのもかまわず、木を切り、日の照りつけるのも構わず、 土地を開きました。 こうして、毎日、農業を勉めましたから、今は、このような、立派な家に住まって、安楽に暮らしていくことができるようになりました。 北海道には、まだ、奥に、たくさん、開くべき所があります。 これを開くものは、誰でも、私たちのように、安楽に暮らしていくことが、できるようになります。また、土地を開くほかに、魚を捕ったり、石炭を掘ったり、馬や牛を飼ったりするような仕事もありますから、本州などで貧しく、暮らしている人は、早く、ここに、移住すればよいのです。 本州などの人は『北海道は、たいそう雪のふる、寒い所だ。』といって、恐れている人もいますが、(子どもの)みなさんにさえ、こうやって、いられる所ではありませんか。 また、千島の方にある占守島という所にさえ、行っている人もいるではありませんか。」 子どもは、この話をきいて、「もっともだ。」と思った。 そして、また、「今のように安楽に暮らしていくことができるのは、 この老人や、うちの人たちの苦労してくれたおかげだ。」と思った。 尋常小学校読本 明治37年

明治時代の教科書より:実用知識「焼物と塗物」

機械工業と違って、人の手を用いる工業は昔から日本ではとても進んでいました。 特に焼物、塗物はその名が外国にまで聞こえていました。 茶碗、土瓶、皿などの多くは焼物で、膳、椀重、箱、盆などは多くが塗物です。

焼物をつくる

焼物をつくるときは、土または石を砕き、粉にして練り固め、または”ろくろ”にかけたり、 手でひねったりして、思うままの形につくります。 そして日陰で乾かし、竈に入れて焼きます。 これを素焼きといいます。茶碗、土瓶、皿などは、この素焼きにさまざまの模様を描いてうわぐすりをかけて ふたたび焼いたものなのです。

塗物をつくる

また塗物は、多くは木を組み、または繰った上に漆をぬって作ります。 漆は木の皮に傷をつけ、流れ出てくる汁を取って作ったものです。塗物の中には蒔絵をしているものもあります。蒔絵とは漆を塗った上に金粉、銀粉などでさまざまな模様を 描いたものです。   尋常小学校読本 明治37年

明治時代の教科書より:実用知識「染料」

青色の染料の原料

染料には種々ありまして青色には多くの場合、藍を用います。藍は温暖で多湿の土地によくできる植物です。徳島県でよくとれます。 また山靛(やまあき)というものがあり、多くは九州の南方にできます。これで染めたものは たびたび洗濯しても色がおちません。
山靛
薩摩綛(さつまがすり)、琉球上布などはこれで染めたものです。

赤色の染料の原料

赤色には紅、茜などを用います。  

黄色の染料の原料

黄色にはウコン、クチナシ、刈安(かりやす)を使います。

黒色の染料の原料

黒色には檳榔子(びんやし)、五倍子(ごばいし)、鉄漿などを用います。  
刈安
イネ科の植物。延喜式にものっている黄色染料です。
檳榔子(びんやし)の木
五倍子(ごばいし)
ヌルデという植物の葉をヌルデシロアブラムシという虫が傷つけることにより「虫こぶ」という袋状のものを作ることがあります。この袋状の物体の成分をインキ,染料の製造原料にすることができます。

染料の配合

このほか、萌黄色を染めるには黄と青、紫色を染めるには赤と青を交えます。 このように配合していろいろの染料を作るのです。 石炭ガスをつくるときにアニリンというものがとれます。このアニリンから 紫色の染料を得ることができます。これに媒染剤を加えるとさまざまの色ができます。 科学の進歩につれてさまざまな染料が発明されました。  
鉄漿とは?
お歯黒(はぐろ)のこと。鉄屑(てつくず)を焼いたものを濃い茶の中に入れ、これに五倍子(ふし)の粉を加えてその液で歯を染める。   高等小学校国語 明治34年