(「明治時代の教科書:1分で読む伊藤小左衛門 前編」)
製茶で成功した伊藤小左衛門は、養蚕が利益を出すと知り、まず桑2百株を手に入れました。
そして長い年月、苦労を重ねた末、ついに製糸機械を設置して、多くの生糸を造りだしました。
しかし品質がよくなく、大きな損失を出してしまいました。
小左衛門は自ら、上野の富岡製糸場で修行をし、帰ったあと、五十二貫目の糸を製造して、横浜に送りました。
しかし、また損失をこうむることになりました。
小左衛門は少しもあきらめず、明治9年には妻と娘を富岡製糸場に送って修行をさせました。
また機械を変え、職工を増やし、それから二百十貫目の糸を製造して、横浜に送りました。
このとき、ようやく富岡製にも劣らない品質だと評価され、高値がつきました。
伊藤小左衛門はますます励んで製糸、製茶業を盛んにし、その志をかなえました。
高等小学校国語読本 明治34年