徳川光圀(水戸黄門)は何不自由のない身分でありながら、いつも倹約をしていました。

普段の着物や食べ物も、粗末なものでした。居間のつくりも、せまくて粗末でした。

天井や壁は、よそから来た手紙などの紙を使って自分で補修していました

光圀は、紙をていねいに使いました。ふだん、ものを書くときは、たいてい書き損じた紙の裏を使いました。

女中たちが紙を粗末に使うので、光圀はそれをやめさせようと思いました。

そこで、ある冬の日に、女中たちに紙すき場を見せてやりました。

その日は寒い日でしたが、紙すきの女性たちは川風に吹かれながら、冷たい水に入って、手も足も真っ赤にして働いていました。

女中たちはこのようすを見て、自分たちの使う紙が、どんなに人々の苦労のおかげで出来るかということが、わかりました。
そして、それからは、一枚でも粗末にしないようになりました。

 

 

江戸時代の紙
江戸時代の紙は貴重だったため、書き損じてしまった古い紙も捨てずに裏返して使用していました。
そこから「反故(反古)」は「書き損じてしまった古い紙」という意味になりました。
「無効にする」という意味で使われる「反故にする」の由来はここからきています。
また戦前までは「ほご」よりも「ほぐ」と読むのが一般的でした。

尋常小学校修身書 昭和11年