今の日本人が知らない著名人

明治時代の教科書:1分で読む伊藤小左衛門と茶畑

伊藤小左衛門は三重県の人です。代々、農業をしている家の生まれでした。

小左衛門は若い時から産業を起こしたいという志がありました。

外国貿易が始まった頃、製茶業を始めようと思い立ち、山地を開拓してお茶の木を植えました。

他の人にも勧めましたが、人々はそれに従わず、あざけり笑う人もいました。

小左衛門は気にしないで、茶畑を広め、5年後には二十貫目の茶を収穫しました。

のちに横浜港が開港したとき、十数万片のお茶を外国人に売り、二千六百両の利益を得ました。

以前、あざけり笑った者たちも、これを見て感心し、争うように製茶業をはじめました。
そして製茶業は国中に広まり、大変な産出量になりました。

伊藤小左衛門とは?
三重県四日市市の企業家。幕末期から明治初期にかけて四日市地域に近代産業を浸透させ、貿易を重視して産業の近代化を推進した。

高等小学校国語読本 明治34年

昭和までは有名だった日本人:一分で読む、木村重成のほんとうの勇気

木村重成は豊臣秀頼の家来で、小さいときから、秀頼のそばで仕えていました。

重成が12、3歳の頃のことです。

ある日、大阪の城の中で、坊主と楽しく遊んでいましたが、どうしたわけか、坊主が、急に本気になって、ひどく腹を立てはじめました。
そして、さんざん悪口を言ったうえ、重成にうってかかろうとしました。

いあわせた大人の人たちは、どうなることかと心配しました。

重成は、無礼なことをすると思いましたが、じっとこらえて、とりあわず、そのまま奥にはいりました。

人々は、意外に思って、重成を臆病者だといって笑いました。

それからの坊主は、いばって仕方ありませんでした。

のちに、秀頼が徳川家康といくさをした時、重成は人を驚かすほどの勇ましい働きをしました。

そこで、以前に、「重成を臆病者だ」といって笑った人たちまでが、

「重成こそ、本当の勇気のある人だ。」

といって、感心しました。

木村重成
豊臣秀頼の家来。大坂冬の陣では、徳川軍と対等に戦い全国にその名を広めた。和議にあたっては秀頼の正使となり、その進退が礼にかなっているのを賞された。