古橋輝兒(てるのり)は愛知県の人でした。 子供の頃、家が貧しくなってきたので、これを挽回しようと、日夜つとめました。 輝兒(てるのり)は大人になると、山林業を始めようと思いました。 そこで、貧しい中、自らお金を出して、杉、ひのきなどの苗を買いました。 そして、これらの苗を、すべての村人の間で分けあって栽培しようと思いました。 村の人々はいやがりました。苗を焼きはらおうとする人もいました。 しかし輝兒(てるのり)は誠意をもって、丁寧に栽培するよう勧めました。 そして数万本の大木が村の共有地に生い立つようになり、 輝兒(てるのり)の徳を仰がぬものはいなくなりました。 また輝兒(てるのり)は、県庁で働いていたときに得たお金で、 茶の実や桑の苗を買って村人に与えました。 貧しい者には栽培するための費用を与えました。 結果、数年後には、この地方で製茶や養蚕が盛んになりました。 輝兒(てるのり)は、農談会をして耕作をすすめ、学校を興して師弟を教え、 財を出して貧者に恵みを行うなど、善行がとても多い人でした。 常に倹約し、自分のために使うことは少なく、公益のためには少しも惜しむことなく、 何事も自ら先んじて人を導くので、感化させられない人はいませんでした。 輝兒(てるのり)は、父親が病気になったときは寝食を忘れて看護し、氏神に全快を祈りました。 父の病が癒えると、毎夕、氏神の社に燈火を献じて感謝しました。 高等小学国語読本(明治34年)より