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ある日、北海道のある村の子どもが4,5人、つれだって、その友達の家をたずねた。
そのとき、その友だちのおじいさんは次のような話をして聞かせた。
「私は今から34~5年前に本州から、ここに移住して来ました。
皆さんのお父さん、お母さん、おじいさんや、おばあさんなどと一緒に、ここに移住してきました。
そのころには、今、札幌というところにある、北海道庁という役所は、まだありませんでした。
そして土地は一体に、たいそう荒れていました。木は生い茂っていて、歩くこともできませんでした。また、道もなく、家もなくて、たいそう、さびしい所でした。
けれども、私どもは、小さい家を作って、住まいました。
そして雪の降るのもかまわず、木を切り、日の照りつけるのも構わず、
土地を開きました。
こうして、毎日、農業を勉めましたから、今は、このような、立派な家に住まって、安楽に暮らしていくことができるようになりました。
北海道には、まだ、奥に、たくさん、開くべき所があります。
これを開くものは、誰でも、私たちのように、安楽に暮らしていくことが、できるようになります。また、土地を開くほかに、魚を捕ったり、石炭を掘ったり、馬や牛を飼ったりするような仕事もありますから、本州などで貧しく、暮らしている人は、早く、ここに、移住すればよいのです。
本州などの人は『北海道は、たいそう雪のふる、寒い所だ。』といって、恐れている人もいますが、(子どもの)みなさんにさえ、こうやって、いられる所ではありませんか。
また、千島の方にある占守島という所にさえ、行っている人もいるではありませんか。」
子どもは、この話をきいて、「もっともだ。」と思った。
そして、また、「今のように安楽に暮らしていくことができるのは、
この老人や、うちの人たちの苦労してくれたおかげだ。」と思った。
尋常小学校読本 明治37年
昔、小野道風(おのの とうふう)という人がいました。
若いときに字を習いましたがうまく書けず困っていました。
あるとき、雨の降る日に道風が庭に出て池の傍を通りますと、しだれ柳の枝へ、かえるが飛びつこうとしています。
かえるは柳のつゆを虫とでも思ったのでしょう、飛んでは落ち、飛んでは落ち、何べんも、何べんも、飛びつこうとします。
だんだん高く飛べるようになって、とうとう柳に飛びつきました。
道風はこれを見て、このかえるのように、根気がよければ
何事もできないことはないと悟りました。
それからは、一生懸命になって毎日、字をならいました。
ずんずん手が上がって、のちには名高い書手となりました。
尋常小学校 小学国語読本 巻3 昭和3年
小野道風(894年から966年)は、平安時代中期を代表する能書(書の上手な人)です。
小野道風の家系、小野氏は遣隋使で有名な小野妹子を祖先として、岑守・篁・美材等の学者や能書を輩出した名族でした。
幼いころから字が上手だった道風は、書をもって宮廷に仕え、数々の輝かしい業績を残しました。
愛知県春日井市ホームページより
村はずれに水車があります。村の人は五一車と呼んでいます。
五一じいさんがその水車屋の番をしているからです。
五一じいさんは、おもしろいおじいさんです。
「からすの鳴かない日はあっても、五一じいさんが歌わない日はない」
といわれるほど、いつも機嫌よく歌を歌うじいさんです。
長い半纏を着て、みじかい股引をはいて、小糠だらけになって、はたらくじいさんです。
ざぶざぶ落ちる水の音、とんとんひびく杵の音、そのにぎやかな中から
「しごとなされよ、
きりきりしゃんと。
かけた、たすきの、切れるほど。」
五一じいさんの歌う声が聞こえます。
いつか、うちのお父さんが、道で、
「いつも、お達者なことで。」
とおっしゃったら、五一じいさんは
「もう、すっかり、弱りまして。」
と、いって、大きな手で頭をなでました。
五一じいさんは、今年、六十九歳だそうです。
尋常小学校巻3 昭和3年
子どもたちがたくさん集まっていました。
その中の一人が、紙を折って作ったかえるを出して
「これは生きている!」
と手をはなしました。
するとふしぎなことに、紙のかえるはそろそろと動きはじめました。
みな、ふしぎに思ってみていました。
やがて一人がかえるに息を吹きかけてみると、かえるはひっくりかえって、こがね虫があらわれました。
「ああ、これがタネだ」
と、みんなが手を打ってわらいました。
次の日、またべつの子がいいました。
「おもしろいものを作ったから、みんな見にきて」
みると、うつわにはった水の上を、木でつくった鳥があちこち泳いでいました。
「これはおもしろい。どうやったの?」
ときくと、昨日のかえるを見てから、いろいろ工夫して、木で鳥を作って、それを糸で魚のフナの尾にむすびつけたのだ、と言いました。
小学国語読本より