永田佐吉は11歳のとき、田舎から出てきて、名古屋のある紙屋に奉公しました。 佐吉は正直者で、よく働く上に、ひまがあると、習字をしたり、本を読んだりして楽しんでいました。 そのため、主人にたいそう、かわいがられました。 しかし、仲間の者たちは佐吉をねたんで、店をやめさせるように、幾度も主人に願い出ました。 主人は仕方なく、佐吉を雇うをのやめました。 佐吉は家に帰ってから、綿の仲買などをして暮らしていましたが、主人を恨むようなことは少しもなく、いつも、世話になった恩を忘れませんでした。 そして買い出しに出た道のついでなどには、必ず紙屋に行って、主人のご機嫌を伺いました。 その後、紙屋は、とても衰退して、見るのも気の毒なありさまになりました。 長い間、世話になっていた奉公人も、誰一人、出入りしなくなりました。 しかし佐吉だけは、ときどき見舞いに行き、いろいろな物を贈って主人をなぐさめ、その暮らしを助けました。     永田佐吉は江戸中期の豪商です。人徳者で、仏佐吉とも呼ばれました。 現在も、岐阜県羽島市にある佐吉大仏は、彼により建てられたものです。     尋常小学校修身書 昭和11年