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ひばりのはなし

麦畑に、巣をつくったひばりがいました。 えさをとりに行くとき、ひなに 「よく気をつけなさい」 と、言い残しました。 親鳥が、餌をとって帰ってくると、ひなが言いました。 「さっき畑の持ち主が来て『麦刈りを隣の人にたのもう』と言っていました」 親鳥はこれを聞いて 「心配することはないよ」 と、いいました。 次の日、親鳥がえさをとって帰ってくると、ひなが言いました。 「畑の持ち主が来て『友達に麦刈りを頼んだ』と言っていました」 しかし、親鳥はいいました。 「まだまだ心配することはないよ」 その次の日も、親鳥は餌をとって帰ってきました。 ひなは言いました。 「今日は、畑の持ち主とその子が来て『自分たちで麦刈りをしよう』と話していました」 今まで平気な顔をしていた親鳥ですが、この話には、とても驚きました。 「さあ、それでは私達も覚悟しなくてはならない」 そして、ひなを連れて、麦畑を飛び去っていきました。 かしこい親鳥は、 「隣の人に頼むようでは、まだ心配ないけれども、畑の持ち主がみずからやろうというなら、間違いなくそうするだろう」 と思って、飛び立ったのでした。

修身の教科書より:「写生派の祖」円山応挙が犯した鶏の絵の間違いとは?

円山応挙という人が、毎日、京都の祇園の神社に出かては、にわとりの遊んでいる様子を見ていました。 じっとにわとりばかりみているので、周りの人は不思議に思いました。 一年ほどたってから、応挙はにわとりの絵をかいて、神社に納めました。 お参りにきた人たちは、 「よくかけてるなあ」 「まるで生きているようだ」 といって、ほめました。 ある日、やさいを売って歩くおじいさんが通りかかって、しばらく見ていました。 「にわとりはいいが、草があるのはおかしい」 と、おじいさんは、ひとりごとをいいました。 応挙は、そのことを聞いて、おじいさんの家へたずねて行きました おじいさんは 「私は、絵のことは少しもわかりませんが、ただ長いあいだ、にわとりを飼っているので 羽の色つやが季節によってちがうことを知っています。 あのにわとりの羽は冬のようですが、そばに夏の草が書き添えてあるので ふしぎに思ったのです。失礼なことを申しまして、まことにすみませんでした。」 応挙は 「よいことを教えてくださった」 と、ていねいに礼を言って帰りました。 応挙はそののち、またにわとりの絵を描いて、おじいさんに見せました。 おじいさんはすっかり感心しました。 そして、それよりも、自分のような者からも、よく話を聞いて、絵を描こうとする応挙を、本当にりっぱな人だと思いました。  

円山応挙ってどんな人?

円山応挙は江戸時代中期にの画家です。日本の絵画の世界に、新しい考え方と技法を取り入れ「写生派の祖」とよばれます。 国宝「雪松図」 初等科修身(昭和17年)より