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不況の源?経営コンサルタントは日本に不要な存在か

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先日、昔、知り合いだった方が、ある会社の社長になっていることを知りました。
この方は1960年代うまれ。私より10歳ほど年上で、若い頃にバブル期を過ごした世代の方です。
まだ私が10代だった頃に知り合いました。特に個人的に親しくなったわけではなく、交流した期間も一年ほどでした。
しかし、まだ未成年だった私の中では、とてもインパクトのあった方でした。
そのため、現在に至るまで、私は彼のことをずっと覚えていました。

 

現在の消息を知って、最初は、社長になっているなんて出世したと感心しました。しかし、その評判を知って、愕然としました。

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「この会社の上層部が気にするのはデータや数字ばかり。現場や従業員には関心がない」

「管理職は外部から引き抜いてくるのか素晴らしい経歴の持ち主が多い。しかし、大体は三年未満でやめる」

「人事異動、内部改革が頻繁で管理職の役目がころころ変わる」

「経営陣と社員のコミュニケーションの機会は多い。
しかし彼らや管理職と一般社員の間には見えない壁があり、意見を聞き入れてもらえる雰囲気ではない」

「社員を使い捨ての駒としかみてない。相当なブラック企業。やめさせたい社員がいると粗探しをし、欠点をあげつらって追い込む」

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・・・読んでいて、胸がつぶれる思いでした。長年、会っていないといえ、その知人は私にとって、とても思い入れのある方でしたので・・・

知人はもともと、その会社のコンサルタントをしていて、それからその会社の社長になったそうです。
彼が社長になってから、儲け主義の会社になりサービスが悪くなったと、ユーザーからも不評のようでした。

 

コンサルタントは「良い時だけの人」?

もともと、私は経営コンサルタントという仕事に、あまり良いイメージをもっていません。

90年代半ば、私はある会社で働いていました。
社長は日本銀行のOBで、管理職は高度成長期に人気を集めた某外資系企業の元部長たちでした。ちなみに現在、この会社は存在しません。

この会社が、あるコンサルタントと契約していました。
怖いぐらい頭が切れるといわれる人物で、年収も高いと噂でした。
彼が現れるのは週三回ほどでしたが、いつも重役にまとわりついて話をしていました。重役たちはコンサルタントのいうことに、よく耳を傾けていました。

しかし、その会社はそれから一年もせず傾きはじめます。コンサルタントが顔を出すのも週一になり、やがて家賃の高いビルから会社が転居する際に、契約も終わりになったようでした。
このとき、社長は引責辞任しました。

私は「コンサルタントって、いいときだけの存在なんだな」と感じたものです・・・

 

大塚家具のお家騒動の主役だった久美子さんも、コンサルタント業の経験がありますね。
メガバンク勤務そしてコンサルタントという経歴が、久美子さんの価値観を築いたといわれています。
過去記事「ビジネス書が人気なのに経済衰退が深まる不思議」にて、久美子さんが社長になった場合、10年もたないと予想しましたが、結果はそれを上回る早さでした。

父である勝久氏は、週刊新潮のインタビューで、経営に失敗した久美子さんに対して
「あの子は信頼する人間を見誤ったとしか思えない」と述べたそうです。

 

発言力は大きいのに責任はない経営コンサルタントという人たち

90年代から考えると、経営コンサルタントはとてもありふれた職業になりました。MBA取得者も増えました。
かつては船井総研が人気でしたが、今はアクセンチュアなど外資系の会社が幅をきかせています。
欧米崇拝の強い1950~60年代生まれが経営陣になることが増えたためかもしれません。

しかし、その結果が、この失われた30年です。
国際的な序列も下がっています。
日本のマスコミは触れませんが。英語圏だと今の日本は韓国と同程度の国だと評されることが多いです。
90年代までなら、考えられなかったことです。

 

現在、人気をあつめる外資系のコンサルタント会社は、東大や一橋、早慶など、一流大学とよばれる大学の学生を主に採用するといいます。
学歴でクライアントを圧倒しやすいからでしょうか・・・

彼らコンサルタントは一般的に頭の回転がよく、論理的に流ちょうにしゃべります。

しかし、うんざりするほど外来語や横文字を交えてくる人が多いのは、聞き手を圧倒するためかもしれません。

きちんと言ってることを理解してほしいなら、相手を煙にまくように外来語を連発するより、ちゃんと日本語になおして話すでしょう。
高学歴な彼らは、そのぐらいやろうと思えば朝飯前のはずです。

 

コンサルタントのアドバイスに従うか無視するかは、経営者自身の判断だとされています。
しかし、せっかく料金を払ってコンサルタントをやとったのに彼らのアドバイスを全く無視する経営者なんて
一般的な人間の心理からして、ほとんどいないでしょう・・・

過去の成功例をもとにした手法や学説は学んでいる。データを分析し資料を作ることも得意である。
しかし、クライアントの会社が扱う商品にも、働く従業員にも、現場にも、大して愛着をもってない。

こういった人々が、高いコンサルティング料をとったうえで、経営者にアドバイスをしてくる・・・

結果、経営がうまくいったら、コンサルタントは自分の手柄にします。

しかし、会社が傾いた場合、彼らは消える・・・
責任をとらされるのは経営者と社員です。

知人のように、コンサルタントから社長になった場合でも、彼らはサラリーマン社長ですから、責任を取る必要はあまりありません。せいぜい引責辞任でしょう。
つけを払うのは株主と社員です。

 

・・・もちろんコンサルタントたちも、悪意からこうした立場にあるわけではないと思います。
彼ら自身「日本のような先進国なら」「高学歴なら」「優秀なビジネスマンなら」絶対こうする、という様式に、とらわれてしまっているんじゃないかと思います。

クライアントの会社が良い結果を出せなかった場合、彼らだって気まずさを感じないことはないでしょう。
しかし彼ら自身はコンサルティング料をその会社から手に入れ、利益をだしています。
最初から責任をとらなくてよい立場だと定義もされています。
やがて仲間の似たような立場の人たちと肯定しあって、こんなもんだろうと納得してしまうのでしょう。

コンサルタント側も、経営者側も、これが常識になり、惰性になり、現状が続いている・・・。
そして日本全体としては、だらだらと出血し続けていってるわけです。

 

今と違う 日本を上昇させた昭和の経営コンサルタント

前回記事「昭和世代が若者に教えたがらない日本が豊かになれた秘密4つ」にて、 バブルを迎える前の上り調子だった昭和日本と現在では、様々な価値観が違ったということを取り上げました。

そして、この時代にも経営コンサルタントは存在しました。

一倉定というカリスマ経営コンサルタントをご存知でしょうか?
主に昭和に活躍した人物で、すでに亡くなっています。

ユニクロの柳井氏からあの大川隆法氏まで、強い影響を受けたとして名前を挙げるコンサルタントです。亡くなって20年になる現在でも信奉者が多く存在し「お墓参りツアー」を企画する会社まであります。

この人物のこと、私自身、今回調べていて、初めて知ったのですが、なかなか興味深い人物です。

以下、yahooニュース「一倉定とは何だったのか ~チョークを投げつけ社長を怒鳴り続けた伝説の経営コンサルタント~」の記事を抜粋します。

氏の名前を知らずとも、こう紹介しておこう。私たちが現在、日本における経営コンサルタントという職業を形作った人物だ、と。鬼のような指導で知られ、赤字会社の再建に命を燃やし続けた。

 

5000社を超える企業を指導し、多くの倒産寸前の企業を立て直したとされる。経営コンサルタントの第一人者とされ、苛烈なまでに経営者を叱り飛ばす姿から「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持つ。"ダメな会社はTOPがすべて悪い、人のせいにするな、部下のせいにするな、環境のせいにするな"が基本方針

 

一人の白髪でやせた紳士から、怒号が飛び、黒板が次々と一倉理論で塗りつぶされ、その講義の緊張に耐えられない者には容赦なくチョークが飛んで行く。ここには、一般的なお客(受講者)とサービス業者(講師)なる関係性はもはや成立していなかった。

しかしその反面、社長と悩みを共にし、『親身になって対応策を練ってくれる』と多くの社長が一倉定を心から慕っていた。

 

ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのであり、決定の大原則である。経営者は、すべての結果について全責任を負わなければならない。何がどうなっていようと、その責任をのがれることはできないのだ。全責任を負う者が決定するのが当然である。

 

電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である。(中略)「社長の責任において決定する」という意味は「結果に対する責任は社長が負う」という意味である。

それだけではない。「社長が知らないうちに起ったこと」でもすべて社長の責任なのだ。会社の中では、何がどうなっていようと、結果に対する責任はすべて社長がとらなければならないのだ。

 

一倉定は1918年生まれ。戦前教育世代です。学歴も大卒ではありません。言っている内容も、あまり論理的でないですね。

にもかかわらず、彼は戦後昭和が先進国へと上りつめる中、経営コンサルタントとして成功しました。彼の考え方は上昇してた時期の日本社会のメンタリティにマッチしていたということでしょう。

一方、今どき人気の外資系コンサルタントは揃って高学歴です。MBA取得者も多い。発言も知的で論理的です。
なのに、彼らが活躍する日本はなぜか、貧しくなる一方です。このままでは先進国から脱落してしまうと怯える声も増えています・・・

なぜでしょう?

 

「友」という概念が薄いキリスト教文化

今どきの経営コンサルタントの多くは欧米先進国、主にアメリカのビジネスの価値観を学んでいます。MBAなど最たるものですね。

そして「日本人がついていけない聖書エピソード5選 脱亜入欧できない真の理由」でのべましたように、欧米は聖書の価値観にもとづいて成り立つ社会です。

そして聖書に出てくる主な人間関係は
親子、夫婦、きょうだい、親戚、隣人、そして主と従者(しもべ)です。

実は聖書には「友」という人間関係があまり出てこないのです。
ヨブ記にでてくるヨブの友人ぐらいでしょうか?

家族関係や主従関係とくらべると、非常に少ないです。

 

一方、私達の日本文化の下敷きにある、東洋思想や東洋の古典には「友」という概念がたくさん出てきます。

「友あり遠方より来たる、また楽しからずや」

孔子の論語は冒頭からして、これです。友は遠方からくるのですから「隣人」ではありませんね。

 

おなじみ三国志にも「生まれた日も時も違えども、死する日は同じ事をここに願うなり」で有名な桃園の誓いなど、友情を重視した人間関係がみられます。「刎頸の交わり」なんて言葉もありますね。

こういうと、西欧にだって、フランスの文学者デュマの「三銃士」のような友情を重視したコンテンツがあるじゃないかと思われるかもしれません。
でも、この「三銃士」って、大航海時代のあと、東洋文化がヨーロッパに大量に流入した後に書かれたものです。
この時代は四書五経のようなメジャーなものだけでなく、「趙氏の孤児(趙氏孤兒)」のような今日あまり聞かない中国文芸までフランスに流入していました。三国志も入ってきていたかもしれません。
(関連記事:「シノワズリ ヨーロッパで中国が先進国だった時代」)

三銃士が三国志にインスパイアされて書かれたものだったら・・・と考えてみるのもおもしろいです。

 

文化にそぐわない欧米化は貧しさを生むだけ

「桃園の誓い」の劉備ら三国志の三人組は、親友であると同時に主従関係でもあります。孔子も赤の他人である弟子たちが遠方の仕事に去った後も、彼らの苦境を伝え聞いては泣いたり怒ったり断食したり、激しいです。

東洋における、上司や恩人への忠義を重んじる文化は、こうした他人を家族同様に想う慣習が礎にあるのかもしれません。

今日でも中国人は親友を持つことを重視します。女性も同じで女同士の親友を闺蜜といいます。親は自分の子供に家族同然の親友をもたせるために、子供の親友候補を預かって一緒に生活させることもあるといいます。
日本でも明治ぐらいまでは書生制度とかありましたね。多くの他人が時間を共有し、互いに情や絆を深めやすい環境を作る点で、社宅制度や飲み会文化もそうかもしれません。

 

しかし聖書においては違います。「友」の占める割合は少なく、しもべは主人の利益に貢献するためだけの存在です。主人の情はしもべには向けられません。
欧米社会が労働者にドライなのは、こうした伝統のためでしょう。

そのかわり、しもべの側も、主人に対する忠誠心を求められません。契約どおりの働きしかせず、メリットが少ないと思えば、平然と去っていきます。
欧米で能力の高い人が驚くほど高給なのは、そのためです。主はしもべに情を持たない分、収入で引き止めるのです。

 

こうした文化ではリストラ制度というものが生まれるのも、当たり前ですね。

一方、バブル崩壊後からアメリカを真似てリストラ制度を取り入れた日本は、すでに20年をすぎるのに、まだ多くの人が心理的になじめないでいます・・・。

 

また経営側(主)と労働者(しもべ)が分断されてる欧米では、組織と関係ないところから、よそ者の経営のプロがいきなりやってきて社長になるのも、自然なことでしょう。
ディズニーも過去、パラマウントからアイズナーを招いて成功してますね。
(関連記事:「ウォルトの後は? ディズニーのお家騒動」)

近年の日本も、欧米にならって、コンサルタントだった私の知人のように、社外の人物がいきなり社長になるケースが増えてきています。

しかし私が無知なだけかもしれませんが、わかる限りだと、今のところ成功例は知りません。よくて維持といったところでしょうか。

 

西欧キリスト教圏が千年以上、聖書の教えに基づく社会を続けてきたように、日本も千年以上、東洋的な流儀を積み重ねた結果としての社会です。
そこに、うわべだけ欧米先進国の制度を持ち込んだとしても、そう上手くはまわらない・・・。
むしろ、それまであった調和を乱し、長所を失う結果になっている気がします。

 

コンサルタントも、日本においては、主従関係がはっきりした状態で、契約した分だけ、論理的にアドバイスをするコンサルタントより、
相手の領域にずかずか踏み込み、感情をあらわにする「友」なコンサルタントのほうが、本来の文化に合っているのかもしれません。

私自身、今の時代だからこそ、一倉定のようなコンサルタントがいれば、会ってみたい気がします。

 

 

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